「気結び」
問題は形の無い「意識」というものを捉えることが出来るかという
「気結び」を体感、体得することは可能かということだが
「色」を消し去った「本物の入り」は体得するには
神妙かつ深遠でありかつそれと気結びを行なうとなると言語に尽くせぬ程の修練を要する
気結びを「感覚」ではなく「術」として行う際の手がかりは
目の機能、相手の出ようとする動きを察知する際、特定の部位の初動作を凝視して
中心視野覚的に捉えるのではなく
相手の全体像の30cm後を見るように全体的な周辺視野的に
相手が前に出ようと体重が前足または後足に乗り切った状態から今まさに
移動しようというような映像的というより自分に迫ろうとする
雰囲気といか気配のような感覚的なものを捉えるということ意識して
実体験の中から獲得していかねばならない。
最初から気結びなんて体術の技術が上がれば自然と得られるなんて
暢気なものではなくて得ようとしなければ得られない感覚なのである。
気結びは一つのスローガンでなく実態のあるテクニックである。
剣術においても「枕を抑える」という考え方がある。
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