武道行動学 怪我ゼロ武道

野中日文先生のブログが更新されました。
徹頭徹尾「勝ち」にこだわり続けられておられる、ウサギを狩るにも全力を尽くす虎の様な大師も合気道開祖植芝盛平と同じように「活人剣」「神武不殺」の境地を説かれることが多くなりました。先日は「開祖直伝の気形」を示され指南くだされましたが その悠々たる動き、深み、広さたるは言葉で尽くせぬ「舞の武道」鳥肌が立ちました。
が、これは開祖、大師共に武術の技を追及し積み重ね尽くした上に具現化された「気形」であることを見誤ってはいけない。

野中日文ブログ:http://nonaka.kuroki.mods.jp/

以下転載------------------------------------------------

武術とは殺傷の術 はっきりいえば、「いかに効率的に敵を斃すか」 これが武術です 刀や槍はそのための道具 折れず、曲がらず、よく切れるのが条件 
 ダイナマイトの開発で、「これで地上から戦争はなくなる」と思われた 
しかし終わらなかった 核爆弾が登場した 人為的に地震や暴風雨などの自然災害を起こさせる技術が開発されつつあるという 猛毒をもつ病原菌の開発もこの線上のものだ
 幕末の行動家たちは、銃器の登場で、「これで一刀流も柳生新影流もなくなるな」と思った 武士に代わって、銃を担いだ「兵士」が戦場の主役になった
 しかし武道界にもさまざまなタイプの人がいます
 合気道の開祖植芝盛平は槍の使い手、その極意とされる「三角法」とは槍術の動きです その植芝盛平は「殺傷の術」であった従来の武術を、「愛と和合」の武道、人の身心を浄化するための「みそぎの武道」に変身させ、二代目の植芝吉祥丸はこれを「君子の武道」と認識させることに、半ば成功した 完成したとは思っていないが、ともあれ合気道は人殺しの武道ではない 二人とも門人である我々に後事を託して世を去った 


 斬れるところを斬らず、突けるところを突かずに体が入る
 これを合気道では「入り身」と呼びます  「三角法の秘奥に達したら拳銃のタマも当たらんでぇ!」と叫んだ、在りし日の師の姿が目に浮かぶ
 合気道は肉体の武道ではない 気の武道です 相手の体の動きでなく気の動きにピントを合わせる つまり体術というよりも、動きの本質は剣と槍です
 晩年の植芝盛平は「構え」を捨てた 相手を「見るな」とも云った 対立も敵対もするなと教えた
 「平常無敵流」という剣の流派がある 相手が斬りかかってこぬかぎり、こっちからは決してしかけない 知らん顔をしている 一撃で倒せると思って仕掛けたとたんに地面に這わせられる 「敵対心」や「闘争心」が自分の墓穴をほるわけです 「先手必勝」というが、しかし片方には「空手に先手なし」という言葉も残っている このあたりが武道の面白いところなのであって、とり憑かれるとケガなど問題ではなくなる 記者自身がずっとこれだ 身貧にして貧を知らず、てなことになる ガソリン代もない日がある 女房は亭主をえらびそこねた そのことをいうと、「あたし眼が悪かったの」もうおそい、と 
 悪い事はいわぬ 貧乏とケガがイヤなら武道などはじめないことだ 中学生諸君、「必修」とあれば是非もないが、「ケガゼロ武道」がいいよ 先生方もね
「ケガゼロ武道指導要録」を用意している どうやるのか、みんな書いてある