礼剣同根・剣礼一如

過日 ある男性から仕事から帰宅後、電話が入る。
嫁曰く「たぶん○○流についてだと思う、日中電話があったから。その件で電話問い合わせしてくる人達って独特な雰囲気だからたぶんそう。」

電話に出るとやはりそうだった。
この御仁、小生の学ぶ剣流と同じ名前の流儀名を名乗るある団体に所属していたとのこと。
(のちの会話のやり取りからこちらから聞き出した)
電話開口一番
「○○流には『意地』と言うものが有りますよね、そちらの『意地』とはなんですか?」 
「私は〇〇から『左臂切断』を習いましたがそちらもありますか?」

おいおい、「氏素性も名乗らず、いきなりそんなこと聞くのか?しかもいい大人が。。。(私より年上だと思う:声から)
他人にいきなり抜身の短刀突きつけるようなもんだろ、昔なら「無礼な」の声下、小生から斬り倒されても文句言えんぞ。

まあ一般常識が無いのか、熱心なあまり自分を見失っているのだろうと思い直して大人の対応。
「私の学ぶ道統では『意地』とは稽古研鑽の中で自得するものと教わりました、今ここであなたに私の『意地』を話してもあなたにとっては単なる言葉遊びにしかなりませんよね。」
「私の道統ではサヒセツダンなる言葉は一切出てきませんね、他流のことを出しては申し訳ありませんが東郷家伝の示現流にそのような言葉が有ったかと記憶しますが。」

その後も所属していた団体に失念した原因と本物の鹿児島の道統を学びたいと
言う内容を一方的に話したてる(こちらはフム、フムしか言えない)
どれくらい聞いてあげておっただろうか。
俺はボランティアのカウンセラーじゃない、生来短気 喧嘩っ早くて周りに迷惑をかけてきたタイプの短慮者。 まあ良い師匠達に恵まれてそこそこ礼節をわきまえ思慮できる大人になれたと自分では思っているのだが。
夜の合気道場稽古の時間も迫っていることも合いなって我慢の限界。

「四の五の言わず 本物が鹿児島に有ると思うならば自分の足で鹿児島に
入り、自分の五感で感じなさい。まずはそれからでしょう。
もし来られるときには連絡ください、我々はお迎えしますのでいつでもどうぞ」
と電話を切らせて頂いた。

小生の運営する道場の子供達でも解る「電話をかけるときには自ら氏素性を名乗る」という常識。
剣のなんたるやを語る「現代の武士」たらんと思う人間なら「名乗り」の心得ぐらいは有って然るべき。 
現代武士は稚児に劣るのか? 棒振りの前に学ばねばならぬ「指導せねばならぬ」心得がある。

剣と礼は同じ「用心」という親から生まれた兄弟
これがピンと来ない者は剣が何たるか解っておらぬ者。

=剣礼同根・剣礼一如=

江戸期の剣客 心形刀流の松浦静山先生、直心陰流の山田次朗吉先生
はそう説かれた。

小生 縁あって武道の代稽古を許された身である。
人を斬ったり突いたり、投げたり極めたり ばかりに熱心な狂人ではなく、
「ほう 武道をすると まあなんと見事な武者振り立ち振る舞いよ!」
と言われる教養のある後進を育てたいものだ。
「門下を見れば指導者の力量が解る」と言われるが、わが身を見つめ直す機会に感謝。